うつ病の癒し

私が生まれたのは、愛媛県の小さな田舎町です。今は小学校も廃校になっている位、山奥です(近くに海もありますが)。

家が貧しかったので、高校は定時制で名古屋の方に行きました。

 卒業して、インテリア関係の会社で4年くらい働きました。それなりに青春時代を過ごしていたのですが、ルームシェアしていた友人が実家に帰って、1人になった頃から、情緒が不安定になりました。それがうつ病の始まりだったのだと思います。

 もう、何もする気力もなく、ただただ死にたいと考える毎日でした。
最初は、妹の寮で手首を切ってガスを出しっぱなしにしました。発見され、救急車で運ばれました。いろいろな人に迷惑をかけてしまいました。
実家に帰るしかありませんでしたが、そこでも親がいない時、練炭で自殺を図ったこともあります。

 もちろん、大学病院をはじめ、いろいろな病院の精神科にも連れて行かれました。
薬もたくさん出されましたが、全然良くなりませんでした。
 死ぬこともできず、三年の時が過ぎ、自分も家族もボロボロになり、「もうシスターになるしかない」と思い、修道院を紹介してもらおうと電話帳をめくり、教会を探しました。
 
 するとそこに、「あなたの人生の相談に応じます」というコメントがついている教会があったので、すぐに電話をしました。
それが第一プラザ教会だったのです。

 指定された日時に、1人では無理だったので母と共に山奥の実家からタクシーで行きました。そこに現れた、予想外にとても若くてさわやかな牧師先生が、ていねいに話を聞いてくださり、
「修道院に行かなくても大丈夫ですよ。まず、一度、集会に来てみなさい」と言われ、帰る前に短いお祈りをしてくださいました。

 そして・・・・・・・びっくりです。帰ったら、なぜか気力が出てきて、それまで敷きっぱなしの布団を片付けました。一時的なものではなく、あの長かった闘病は、本当にそれで終わりでした。職安に行き、仕事につきました。すべてがスムーズでした。

 初めて参加した木曜日の集会は、今もはっきりと覚えています。
後ろの席に座ったのですが、涙があとからあとから出てきて、「私はもうここ以外に居場所がない。ここしかない」と思いました。

 あれ以来、鬱病とは無縁です。
 
 29歳の時、いろいろな縁談のある中で、牧師先生のご指導に従って、主人と結婚しました。
主人は香川の人で、遠くなりましたが、ビデオテープ(今はDVD)礼拝という形で、信仰を続けることができました。
 
 二人の子供も授かり、月に一度と教会行事の時には子供を連れて列車で八幡浜へ行きました。
そのどんな時も神様が見守って下さったのだと思います。
 
 「お母さんが鬱病だったなんて信じられない!」と言う子供達も、それぞれ成長し、自分で八幡浜の教会に通いたいからと、大学を卒業してから二人とも松山に就職しました。その事が、私の一番の喜びです。神様から預かった子供達をお返しすることができて、良かったと思います。
 2017年には還暦を迎えました。新しい人生に入ってからの方がずっと長くなりました。
長男はすでに結婚して二人の子どもを授かり、とうに死んでいたはずの私が今ではお祖母ちゃんになりました。

離れていても、神様を通して、家族が一つになれるって本当に感謝なことだと思っています。

 これからも人生の最後の日までこの道を歩いて行きます。
神様が一緒に歩んで下さるので、何の心配もありません。
第一プラザ教会の門をたたいて、本当に良かったと思います。(Toyomi)